2012年01月24日

懐かしいPC-9801を懐かしむ。


やじうまWatch経由で知ったのだけれども、ペーパークラフトでPC-9801を作った人がいるらしい。

PC-98のペーパークラフト作った on Twitpic



なんとも懐かしい。

かなり古い機種なので知らない人も多いだろうけれど、これが無かったら一太郎も花子も世には生まれていないのである。

そもそもNECがパソコンを作っていることも無かったかもしれないし、ウィザードリィ日記も書き起こされることもなく、マイコンBASICマガジンもあんなに売れなかったかもしれない。

そもそもはPC-8801シリーズのヒットを受けて、NECが本腰を入れたのがPC-9801シリーズだそうだ。

家電部隊が開発販売していたのを専門部隊が受け継ぎ開発したんだそうだ。


本体は白というかクリーム色というか(年数経過で直ぐに黄ばんでしまうのです)を基調として横置きのデザインで、その上に専用モニタを鎮座させるというのが定番だった。


取り敢えず各家電メーカーがパソコンを開発、販売していたのだけれど、どれも横置きでモニタを載せるというスタイルだった。

そしてその佇まいに憧れていた幼少期。家電売り場の片隅にひっそりと置いてあるパソコンに興味津々だったな。



SHARPがのちにX68000を縦置きで売りだした時はスタイリッシュで良かったんだけど、富士通がFM-TOWNSを縦置きで出した時はズングリムックリで好感は持てなかった。

富士通は昔からデザインが苦手だったのかは主観なので断定はできないけれど、メーカーがCMに起用していたアイドルがNEC=斉藤由貴 VS 富士通=南野陽子で、初代スケバン刑事が好きだった自分にとって富士通は相性が合わないメーカーだったんだなと、つくづく思う。

(ちなみにPC98シリーズとか、PC-9800シリーズとか色々と表記があったが日経ではPC-9801シリーズと書くのが正しいんだよ的な記載があった。記事のソースはなかったのだが、そう書くものだとあった。
今にしても何故そうなのかは分かっていないんだけど、何となくそうなんだろうと思うようにした・・・。)



さて、2012年1月17日に放送されたフジテレビの「ストロベリーナイト」第2話の冒頭で、なんとPC-9801が写り込んでいた。

研究室のような部屋で2人の演者が会話している後ろに鎮座しているPC-9801。

いかな予算が足りない警察でも、無理して過去の資産を使い回していますにしては古すぎなんじゃないかと思った。

ひょっとすると後期に発売されていたPC-9821シリーズかと思ったのだけれど、Win2kまでしか対応していなかったんじゃないか?

Wikipediaによると、NEC独自アーキによるPC-9801はWin2kまでが対応したWindowsだそうだ。
PC-9800シリーズ - Wikipedia

WinXPがサポート終了とか騒いでいる現状で、Win2kを未だに使い続けていたら困るんだですよ。

セキュリティリスクの問題を考えるとありえへん設定なわけですが、美術さんの倉庫にでもあったのだろうか。



バブル全盛期に高校入学していた自分にとって、PC-9801はありふれたパソコンだった。

学校に行くとパソコン教室が完備されており、PC-9801vmがずらっと並んでいた。

それくらいありふれた物になりつつあった。

おかげで部活はパソコン同好会だった。

毎日タイピング練習をやってた。

これが今でも財産の一つになっているので、顧問には感謝したい。


この頃、高級なPC-9801と同時に、MSXという低価格パソコンも普及していた。

とにかく数万円という安さとテレビに接続できるというファミコンライクなお手軽さが子供向けとしては最適だったのだろうと思う。

ゲームができたのはもちろんだけれども、プログラムも学べるという点ではファミコンよりアドバンテージがあったのだが、そちらはあまり需要は喚起されず、ゲームでの普及がメインだったろうか。

コナミがやたらとグラディウスの移植に熱を入れていたのを思い出してしまうのは何故だろう。

ちなみに、一番売れているハードにしかドラクエは出さないといスクエニですが、当時のMSXはドラクエ移植されていました。(知っているのは2作目)

ファミコンが普及したのもあって、パソコンでもゲームは盛んに開発され売れていたと思います。

グラフィック性能はパソコンが格段に上だったので綺麗なゲームが沢山あるパソコンは憧れで、PC-9801専用となるともはやなんとも言えない屈辱感があった。


この頃からゲームのプラットフォームが8ビット機であるPC-8801シリーズからPC-9801シリーズへとシフトするようになってて、子供向けより大人向けという市場が形成されていった時代だったかと。



働くようになって実際に自分でPC-9801を買うようになった。

自分で使っていたのがWin98SEまでだったと思う。

とうぜん初めはMS-DOSを使っていた。

Windowsみたいにマウス操作ではなかった時代なのでキーボードは使いやすくなくてはならないという信念のもと、CTRLキーの場所はNECが神と崇拝してやまなかった。


Win2kが流行り始めた頃、とうとう自作するようになった。

DOS/V互換機が流行りだしPC-9801が劣勢になっていったのだが、この当時にPC-9801が買い替えを行うと30万円くらいはした。

ボーナスが吹っ飛ぶ経験だった。これを数回繰り返すとdirのスクロール速度が遅かろうが構わないという気になった。(当時はDOS窓で”dir”と打ち込んでファイルリストが如何に早く流れるかという性能評価方法があった、という皮肉。つまりパソコンの性能アップがその程度の差しかないのに買い替えなんて・・・っていう話)

DOS/V機は10万円程度で作成可能だったので安いうえに、右も左も分からずに組み立てるドキドキ感まで味わえた。お得感は当然のこと満足度まで得られて、次はどうしようこうしようと未来にも希望があった。

もちろんパーツを融通してくれる知人・友人がいたりするともっと安くできたのだからPC-9801シリーズが廃れていったのもよく分るというものだった。

自作する時はグラフィックボードに凝ってみたり、マザーに凝ってみたり、ケースをコンパクトにするのか拡張性を優先するために大きくするのか、はたまた面白おかしい(無意味な)パーツはないかと楽しかったもので、そのために秋葉原に行ってみたものだ。


怪しいといえばマハポーシャ。

見かけはしたが君子危うきに近寄らずということで素通りするばかりだった。

意外と接客は普通だという話は聞いていたが、見かけは異様さを隠せないので、立ち寄る気にはならないのだ。
※マハポーシャ:自作世代での語り草(?)となったショップ。オーム真理教の直営店という点を隠さず営業。でも安いし性能も悪くないからという理由で一時期は繁盛していた(野次馬のせいか?)。セールストークが凄いとか、入店すると買うまで出られないんじゃないかとか、買ったら信者にされちゃうとか、憶測と噂は凄かった。更に尊師の歌が記録されたテープまで販売していたらしく、後輩がおもしろ半分に買ってきてた。ニュースで流れていたあの歌が流れてきて、本当に買ってきたという事実に驚いた。というか笑った。こういう時代も秋葉原にあった。あの頃は平和だった。



そうこうするうちに近所でも十分にPCパーツが手に入るくらいショップが乱立するようになり、秋葉原にも足が遠のいた。

深夜営業もするようになっていて、バブルが弾けた後を埋め尽くす気がした。

この頃がネットバブルだったのかもしれない。



そうすると今度はメーカーパソコンが十分安く手に入るようになった。

価格破壊といえば聞こえが良いかもしれないが、この流れを作ったのが富士通で、やってたことはダンピング。

安かろう悪かろう(ソーテック以下の品質だったかもしれない)で販売していたのだけれど、何故か売れていた。


お陰である程度のシェアを取ることに成功し、今のFMVシリーズが確立していった。

この時は、会社でもよく使っていたのだけれど、残業していた時にモニタから煙があがって発火寸前だったのには、さすがに驚いた。

コンデンサ辺りがショートしたと思うんだけど、この頃の富士通は信頼性皆無なメーカーだった。

でも世間的に問題にならなかったのは、買ったはいいけど置物と化している世帯が多いという実情の表れだったのだろうと勝手に納得していた。

しばらくしてノートパソコンが出まわるころには良いノートパソコン(シンプルで使いやすかったし、丈夫だった)を出すようになっていた。


現在はNEC、富士通ともにエントリーモデルで凌ぎを削って、松下が高価格路線(元々はMSXの松下だったのに)、シャープは撤退、東芝は据え置きノートの雄というイメージですかね。

そこに海外組がやってきて低価格機に溢れかえって、牛柄ゲートウェイが消滅、自作パーツショップの有名ショップであったTWO-TOPも倒産という時期になってくる。

中古品を眺めると富士通が多く目立った時期からHP、DELへと変わって行った。



こうやって振り返ると高級なおもちゃ(個人的に)だったパソコンが、低価格していく様がよく分る。

これがデフレってやつなんすかね。

コモディティ化したっていうけど、デフレがあったから普及していったんだと思う。

30万円の暖房器具は、やはり誰も買わなかっただろう。

その時は筆まめは専用ハードで流行っていったかもしれないが。
(今のEPSONのようなものを想像)


そしてとうとう通信会社とのセット販売だったけど0円パソコンが登場。

ここまで来た辺りで現実に追いついちゃうので夢が覚めるね。


果たしてPC-9801というパソコンはバブル期の花形パソコンとして君臨し、衰退していった。

バブルだったからできた価格設定だったかもしれない。

易々とDOS/V機に世代交代していったというよりもバブルと共に消えたということだろう。


けれどもパソコンが楽しかった時期はPC-9801と共にあった。

CONFIG.SYSを弄り回し、LHAで圧縮しまくった日々はあの時だけだった。

インターネットでは代替えし難い興奮があったのは確かだったのだ。

posted by ケイ at 12:08| Comment(2) | TrackBack(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なついなw
PC-9801シリーズの件はおそらくNEC公式の表記からじゃないかな?
ソースは自分で探してw

MSXは・・・惜しいハードだよね。
世代的にFCと比較されることが多いけど、
プログラミング入門としてお手軽。

現在、当時のMSX並みのコストでPCが買えちゃうけど、プログラムを作るってところにたどり着くには敷居が高い。
Posted by しおん at 2012年02月04日 03:56
プログラムを今時の子はどうやって覚えているのかってあたり謎なんだけど、14歳でRubyやっている子もいるし、何とかなるのかもね。
まぁVBAもあるしね。Githubにアカウント作ればコードリーディングもし放題だし、昔より良い環境なのかも?
あとはAndroidで始める人もいるみたいだ。
むしろあれだ、職業にしている人の方が何も作っていないのかも。笑
Posted by けい at 2012年02月12日 02:34
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